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林道義元東京女子大教授による、婚外子問題への見解
林道義先生が、婚外子裁判について、見解を示されましたので、ご紹介します。
林先生のHPからの転載です。


林先生 「寸評」のページより http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/sunpyo.html

平成25年10月16日
婚外子「差別」について
 去る9月4日、最高裁大法廷において、「嫡出子と婚外子の相続分が二対一と定めた現行民法の規定は、法のもとの平等を謳う憲法に違反する」という趣旨の判決を下した。これを聞いて私は一驚し、かつ慨嘆した。日本の司法はここまで堕落したのかと。なぜなら、この判決は、法律家としてはあってはならない論理性の欠如を示しているからである。
 「法のもとの平等」に反すると結論するためには、「平等」の意味を明確に定義しておかなくてはならない。しかしこの判決にはそのような定義はどこにも書かれていない。これは論理性の欠如以外の何ものでもない。
 「平等」には大きく分けて、「形式的平等」と「実質的平等」とがある。「平等に反する差別である」と言いたいならば、このどちらの平等に反しているのかを明言しなければならない。
 「形式的平等」とは、一人ひとりの年齢、性別、能力、境遇等に関係なく、ただ機械的に同額を支給するといった原理の平等観念である。それに対して「実質的平等」とは、一人ずつの状況を勘案して、支給額を変える、それこそが真の平等だと考える原理である。
 今回の最高裁の判決が「形式的平等」の平等概念に立っていることは明らかである。すなわち、嫡出子も非嫡出子もその境遇を子供自身は選ぶことができないのであるから、一律に同等の相続権を持つ、したがって「本件規定」(非嫡出子の相続分を嫡出子の二分の一とする)は「法の下の平等」を定めた憲法14条1項に違反し無効である、と結論しているからである。
 もちろん判決文はそう単純にこの結論を出しているわけではないので、ここで判決文の論理を簡潔に辿ってみよう。
 曰く、嫡出子と非嫡出子の区別に関しては、その国の伝統、社会事情、国民感情などのほか、家族というものをどう考えるかなど、さまざまなことを総合的に判断して決めなければならない。その上で、この区別に合理的根拠が認められない場合には、この区別は憲法に違反すると解すべきである。
 我が国は長いあいだ法律婚主義をとってきたが、それを含めてさまざまな事情も「時代と共に変遷する」ものであるから、「個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され、吟味されなければならない」。
 さて「時代と共に変遷」した第一のものは、家族形態の多様化と、それにまつわる国民意識の変化である。すなわち「婚姻、家族の形態が著しく多様化しており、これに伴い、婚姻、家族の在り方に対する国民の意識の多様化が大きくすすんでいる」(註1)。また第二のものは、この問題にまつわる国際社会の事情や意識の変化である。世界の趨勢として、嫡出子と非嫡出子の相続分に関する「差別」が撤廃されており、「そこに差異を設けている国は、欧米諸国にはなく、世界的にも限られた状況にある」。
 これを要するに、世の趨勢・時代の趨勢は、嫡出子と非嫡出子とのあいだの区別をなくす方向にある。よってこの区別をなくすべきである。これが結論である。見てのとおり、いろいろと論理を尽くして考察した上での結論のように見せかけているが、結局のところ、世間の趨勢を事細かに証明して、それが形式的平等の方向に行っているから、それに従うべきだと言っているにすぎない。
 しかし、その際、この案件ではなぜ「形式的平等」の原理を基準にして考えなければならないのか、なぜ「実質的平等」の原理を捨ててよいのかという原理的理由については述べられていない。唯一の理由として挙げられているのは、それが国内的にも国際的にも「世の趨勢」だということだけである。これだけが、嫡出子と非嫡出子の区別を一切なくしてしまう「形式的平等」を選んだ根拠とされる。
 しかしながら、嫡出子と婚外子の相続の多寡を、このように形式的機械的に考えるべきものではあるまい。嫡出子と婚外子の関係は、具体的状況のあり方によって千差万別であり、それに応じて両者の相続分の割合も変わってくるはずである。また正規の婚姻による家族形態を守るべきだと考える人々から見たら、当然嫡出子と婚外子との間に区別をもうけるぺきだと考えられるであろう。
 私は日本の家族形態は世界に類を見ない美しいものであって、断固として守るべきものだと考えている。世界の趨勢がどうあろうと、それに逆らってでも、守る価値があると考えている。司法は価値中立でなければならないから、そのような価値判断をしてはならない、と反論する人がいるかもしれない。しかし「時代の趨勢に従うべきだ」という判断もまた一つの価値判断である。どちらも価値判断である点に違いはないのである。
 正規の婚姻による一夫一婦制という、先進国のあいだでは日本にのみ残されている貴重な形態を守るためには、形式的平等ではなく実質的平等の原理によらなければならないことは、見やすい道理である。
 ただし、実際の場合には、ケースごとに嫡出子と婚外子の相続の割合を、二対一にすべきか、三対一にすべきか、四対一にすべきか、それとも四対三にすべきか等と決めることは、あまりにも煩雑であり、実際にはまず不可能であろう。そこで現行民法はやむを得ぬ妥協点として二対一と定めたのである。
 こう考えてみると、この度の最高裁の判決は根本的な誤りを犯していると言わざるをえない。この判決を金科玉条にして、現行民法を変更するなどということは、絶対にあってはらない。
    註1
 この認識自体がそもそも間違っている。婚外子の割合は1995年の1.2%から2011年は 2.2%、たった1%増えただけである。シングルマザーの割合は1.6%(平成23年国民生活基礎調査)にすぎない。スウェーデンやフランスでは、婚外子の割合が50%を超えていることと比較すれば、「著しく多様化して」いるなどとは、決して言えないのである。
 
また「国民の意識」についても、偏りがちなNHKの「解説」でさえ
内閣府の世論調査では、「婚外子というだけで法律上不利益な扱いをしてはならない」と考える人は、96年当時の55%から、去年は61% に増えています。 一方で、「法律上の結婚を保護するために は、不利益な扱いがあってもやむを得ない」と答えた人は、22%から 15%に減りました。この結果からは、少しずつですが、家族観に変化が生じてきているよう に思えます。
 と控えめに書いている。「大きくすすんでいる」などと大袈裟な言い方はしていない。
 しかも、同じ世論調査によれば(NHKは無視しているが)、
「現在の制度を変えない方がよい」は35.6%, 「相続できる金額を同じにすべきである」は 25.8%,「どちらともいえない」は34.8%となっており、現在の家族制度を支持する人の方が相当に多い。
 
前回の調査結果と比較して見ると,「現在の制度を変えない方がよ い」(41.1%→35.6%)と答えた者の割合がやや低下し,「ど ちらともいえない」(31.2%→34.8%)と答えた者の割合がやや上昇, 「同額にすべき」(24,5%→25,8%)は微増。
http://www8.cao.go.jp/survey/h24/h24-kazoku/2-5.html
 このように、大騒ぎするほどには家族は多様化しておらず、家族観にも大きな変化はみられ ない。家族が「著しく多様化」しているという最高裁大法廷の判決は、重大な事実誤認をしていると言うべきである。
 ただし、私の主張は、この点に関する事実認識がどうあろうとも、その趨勢に逆らってでも家族制度を守るべきだという趣旨なので、この問題についての指摘を「註」として述べた。
    註2
 なお、この問題については、本ホームページの「家族」「1 フェミニスト家族論の批判 (4)非嫡出子の区別は正当なり」で詳しく論評しています。是非ご覧ください。
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【 2013/10/16 13:24 】

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